今日は、私がお詣りするきっかけになったお寺へ行った振り返りを書いてみます。
夢違観音(ゆめたがいかんのん)さま、聖観音さま、地蔵さま、不動さま、阿弥陀さま、韋駄天さまが居られるお寺です。
8年前の初めてのお詣り
年前、初めて夢違観音さまをお詣りした時は、ただただ嗚咽しながら手を合わせることしか出来ませんでした。
お詣りするといいよ。と教えてもらったこちらのお寺と夢違観音さま。
そのお寺を訪れることも、夢違観音さまというお名前を聞くのも初めてで半信半疑のままお詣りしたのを覚えています。
初めて訪れるお寺の境内に足を踏み入れると、どことなく懐かしいような心がホッとする安心感を抱きました。
境内を見渡し、池の中に居られる夢違観音さまのお姿を見た瞬間、涙が止まりませんでした。
何も言えず、ただ手を合わせて観音さまの前で嗚咽するしかできなかったです。
しばらくして、後ろを振り返るとそのお寺のご住職が話しかけてくださいました。
そのお話は、まるで私がこちらのお寺をお詣りしている理由を全てご存知なのかと思うような内容でした。
とても不思議な経験でしたが、生まれて初めて訪れるお寺とお名前も初めて聞く観音さまへのお詣りは、その後の私の生活を少しずつ自分が望む時間へと変える大切な時間になりました。
お念珠と副住職さんのご好意
お詣りを終えて、仁王さまに挨拶していると、お寺の副住職さんが話しかけてくれました。
「とても素敵なお数珠をお持ちですね。
一般の方ではなく、何かお話される方ですか?」
「私は、先達さんにご案内して頂いてお詣りする一般人です。」
お念珠と副住職さんのご好意のおかげで、感染症対策で入堂禁止の本堂へ入ることが出来、聖観音さまと愛染明王さまをお詣りすることが出来ました。
般若心経から般若理趣経、十三佛真言、六観音真言、観音経、龍神祝詞など、もりもりにお勤めしてきました。
今日、ゆっくりお詣り出来てホッとしてます。
厳しくジャッジしすぎない
〇〇が出来ていない。
◇◇できてない。
△△がない。
理想が高いというか、あれやこれやと何かと自分自身や過去に作ってきたものがあるのに、厳しくジャッジしてしまう自分がいます。
その厳しさは、先日の父との電話で感じたそれと同じものです。
厳しさがあったから、祖父と父が商売を続けてこれたと思います。
お勤めの家庭では経験できないこともありました。
しかし、喜ばしいことがあったのと同時に、子供には耐え難い強い緊張感がいつも家庭内にありました。
人が成長する上で生まれ育った家庭環境の影響は、本当に大きいな。と感じています。
二十歳になったら、社会人になったら、親や家庭のことを考えずに自分の生きたいように生きたらいい。とは言うけど、そう簡単にいかないことが多かったです。笑
厳しいジャッジは自分自身へも身近な人にも向けられます。
それも無意識的に。
その結果は、自分と大切な人を痛めつけるだけです。
その癖はまだ自分の中から消えてなくなっていないけれど、過去の自分と比べて少しずつ消していけたらいいな。と思っています。
自身の過去や親とこれでもか!と思うほど徹底的に向き合ってきた土地
今の住まいがあるこの地で生活するようになり8年が経ちます。
大雨やコロナ禍があったり、個人的にも山あり他にあり紆余曲折という言葉が当てはまる8年間でした。
いいことばかりではありませんでしたが、それでも8年の間に自身の過去や親とこれでもか!と思うほど徹底的に向き合ってきた土地でもあります。
二十歳の誕生日から始まった私の暗黒時代(笑)の幕が一旦、降りた感じがします。
住まいの近くにあるお寺の宗旨と実家の宗旨が同じだと、越してきてすぐ気づいた時は、ご先祖さまが一緒に動いてくれたんだな。と実感しました。
その当時は、ここまで自分の過去と親と向き合うことになるとは想像もしていませんでした。
でも、徹底的に向き合うことが出来たから、「暗黒時代」の幕を降ろせるのかな。とも思えます。
まとめ
息することさえ苦しかった自分が、命を絶つことなく生活ができていることが奇跡のように感じています。
日々感じる不安や悩みは尽きることがありません。
こうなったらいいな。が叶えば、また新しい悩みや欲が湧き出てきます。笑
そのたびに、ご先祖さまのお名前をお呼びして、地蔵さまや氏神さま・お稲荷さま・観音さまをお詣りしていきます^^
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